3月2日(水) 代々木の飲み屋でうつむいてしまう

 曇って10℃。さぶー。

 終日、次の仕事の下調べや取材項目の整理など。夜になり、美容室で髪を切り終えたツマから電話があり、晩メシをどうするのだと訊かれる。代々木に昨年できた妙ちくりんな名前のホルモン焼き屋があったことを思い出し、そこを指名した。ウチを出る前にホームページを確認すると、大手居酒屋「つぼ八」グループだとか。いやーな予感がしたのだが、見事的中してしまった。口開けに頼んだウイスキーハイボールは薄いこと夥しく、好物のシマチョウは硬いだけで、いつまで経っても焼き上がらない。トントロはベチャとし、くどい脂が舌に残る。日本酒に変えると、ワンカップが出てくる始末。良かったのは牛タンとキャベツのサラダぐらいで、料理にまるで愛が感じられないのである。お運びのおねえちゃんの態度は好感が持てたが、まあ1回限りだろうな。風が冷たかったので体を暖めたかったのだが、それさえ果たせず店を出る。

 代々木の外れに出来た店をチェックした後、女将がやっていそうな店に入ろうとしたら満席で叶わず、ツマがツマンネーということなので南新宿の居酒屋のようなところに入ったことに。が、こちらも先ほどとは違う意味で残念系だった。席数は20卓ぐらいで、日本酒が売りらしい。最初に本日の魚を笊に乗せて持ってきて見せられ、ブリかまを注文。これはマズマズだったが、だし巻きは卵をかき混ぜすぎてクレープのよう。ホヤの塩辛は冷凍庫に入っていたのを掬っただけなので、凍ったまま。素人らしさが全開だった。だが、まあ、そこは目をつぶってもいい。困ったのが、お運び係である。狭い店なのになぜか2人いて、客の方はこちらを入れても3組。女の子の方はテーブルを拭いたり、片づけものをしながら客からの注文に耳を澄ませているのだが、マスクを掛けた男(具合が悪いなら休むか、薬を飲んでマスクを外せ、酒がまずくなる)はただブラブラするばかり。で、こちらがメニューを開くやすっと身を寄せてくるものだから、鬱陶しくて構わない。オーダーを取ってくれば、経営者に褒めてもらえるとでも思っているのだろうか。「決まったら頼むから」と言って遠ざけたが、目障りこの上なく、最後までいらいらさせられた。

 2打数ノーヒット。完封負けの夜になってしまった。二人してうつむいたまま、歩いて帰宅。自宅で飲んだウイスキーの美味いことよ!


3月5日(土) 石が出た

 快晴11℃。

 朝イチ、外苑前までジョギング。気温はまだ低いが、日差しは春そのもので、うっすら汗がかけた。気持ちがいい。

 シャワーを浴びて昼食後は、PR誌の原稿書きやら、社長インタビューの質問シート作り。ツマは店の小上がりのランプを取り換えられないとかで、ブツブツ言いながら夕方、代々木上原に向かった。

 実は尾籠な話であるが、ここ1週間ほどトイレが異常なほど近く、1時間に3回も4回も行きたくなって困っていた。トシがトシだから、泌尿器やら前立腺の、それも性質の悪い病気が頭を過って、来週病院に行く予定だった。それが、何度目かの(もしかすると10数度目かも)トイレの折、ポチョンという音とともに黒いものが水の中に落ちていったのである。え、もしかすると、オレって尿管結石だったわけ? 七転八倒の苦しみといわれる病気なのに、石が自然排出されるってあるわけ? キツネにつままれたような感じだったが、事実は小説より奇なりなのである。徐々に膀胱下方向の痺れるような、むず痒い違和感も消えていた。ひゃー、こんなことってあり? 

 9時過ぎことらの仕事がひと段落ついたのでツマに連絡すると、共通の京都の友人が突然来たとかで、スクランブル発進とあいなった。彼女は帽子やジュエリーのデザイナーで、ツマとは20代半ばからのつきあい。かつては下北沢に暮らしていた。本日は仕事の用事もあって横浜の元町でセレクトショップをやっている友人のところに寄り、地元で飲んでいたそうだが、店の10周年に来られないので遠くから来てくれたとのこと。すでに相当酔っぱらってはいたが、まあ石も出たようだし、ニコニコ話を聞くことができた。京都で苦節十数年、ようやくクライアントも増え、経営が安定してきたとの。聞いていて、こちらもうれしい。その彼女がパリに留学していた時代に親しかった、今は有名ブランドのオーナーデザイナーも呼びだされ(町内会だった)、ツマを入れて5人で大盛り上がりした。日本の今後を考えると、中国市場がどれほど可能性があるか。しかし、かの国はものすごい勢いで豊かになっており、メードイン・ジャパンに憧れている。そこを逆手にとって、良質のデザインの服や小物を中国や世界に売っていきたいとか。すでに伊勢丹の4フロアで展開しており、小僧の夢物語でないところがすごい。友人も大いに刺激された様子だった。横浜に帰るご一行を見送ったのが、12時。

 ツマの後片づけを待って、1時すぎにうどんと創作割烹の「木の花」へ。時間が時間なので、軽いおつまみを頼み、日本酒を少々。サラダうどんを二人で食べたのだが、プロの料理人が作るだけに味がしっかりしていて、一本筋が通っている。上の階のバル、シラントロも好きだが、こちらも大いに満足。夜中に炭水化物を食べていたことも忘れて堪能した。2時過ぎ帰宅。


3月9日(水) 花粉たなびく秩父の山を眺める

 晴れて12℃。

 8時に自宅を出て新宿から山手線、池袋からレッドアロー号で西武秩父へ。そこからタクシーで30分かけて某社へ出向き、10時半から株主向け小冊子用の社長インタビュー。今回は業績が順調に回復し、将来が有望な新規事業の興味深い話も伺え、楽しい限り。3人に計3時間取材したが、時間が短く感じられた。昼食にご馳走していただいた鴨汁そばも美味だった(これはオマケだけど)。会社から再びタクシーに乗ると、目の前に白く霞がなびく山々が、と思ったらスギ花粉が飛んでいるところだった。花粉症の薬のCMで見たことがあったが、まさにそのまんま。頭、耳、鼻が一気に痛くなった。

 予定通り4時半のレッドアロー号に乗ることができ、定刻に帰宅できた。着替えて7時に新宿へ。昨日突然に高校時代の友人が上京するというので集合がかかったのだが、話がつゆほども出ていなかった別の同級生もいて、うれしい再会となった。西口の思い出横丁で4人、皆、高校時代に戻って陽気な酒が飲めた。製薬会社の開発部長をやっている友人の勤務先は偶然にも代々木3丁目と聞き、ちょっとびっくり。もしかすると、気づかないところですれ違っていたかもない。もう一人は、田舎の役人暮らしが嫌で、定年までしばらくあるのにこのご時世だというのにあっさり退職してしまった。なんでも「日本三大ナントカ」が好きで、今までに城やら滝やらを巡っているそうで、今回は庭園がテーマ。茨城空港ができたので千歳から飛んできたとか。イタリアとブラジルにも旅することが決まっており、こういうのをハッピーリタイアメントというのだろう。最後の一人は、芝居の大道具の会社に勤め、日本や世界を旅して回っている。彼自身は頭脳明晰で、高校でも期待されていたのだが、芝居というヤクザな道に足を踏み入れて親を泣かせた。ま、いろいろなのである。友人は「仲良くバラバラ」がよろしい。また元気で会うことを誓って、10時前に解散。こちらは飲み足りなかったので、四谷三丁目の馴染みのバーへ。話のくどい編集者らしきお客さんと他愛のない話で盛り上がり、12時帰宅。あー、眠たい。


3月11日(金) 巨大地震が起きても虎の子は営業するですよ

 快晴12℃。

 朝から大嫌いなテープ起こし。昼食をまたいでチンタラやっていたら、2時46分、マンションがゆっくり揺れ出した。相当でかい。仕事場は本やらCDがあったのでリビングに避難していると、さらに大きな揺れに。ツマに玄関ドアを半ば開けさせ、こちらは猫が飛び出さないようにしっかり抱きしめた。やがて写真フレームが落ち、本が雪崩、足下がぐにゃぐにゃ。時間にすると1分かそこらながら、ずいぶん長く感じられた。揺れが収まったと思ったら、再び地震が襲来。テレビを押さえるのがせいぜいで、後は何もできなかった。とうとう直下型地震が来たか。今日が人生の最後か。つい2日前に陽気な酒を皆と飲んだ折り、「尿管結石が自然排出されるなんて、今年はいいことがあるかも」などと言われたことが頭を過る。幸いツマと二人、昼間であったのでパニックにならなかったが、独りだったらどうだったか分からない。人生で最大の揺れではあったが、皿もコップも割れることはなかったのは幸せというほかない。

 テレビを点けると、三陸と茨城の2カ所で観測史上最大の巨大地震が発生したことを知る。東京は震度5強だったが現地は震度7。最初は都内の被害状況が中継されていたが、飛行機が北上し、仙台や塩釜では信じられない光景が広がっていた。名取川という大きな川を逆流する津波が、広大な農地に広がり、車を飲み込み、住宅をなぎ倒していった。胸が塞がれる思い。気仙沼、南三陸町、相馬、銚子。取材に行ったことがある町に黒々とした津波が押し寄せ、飲んでいく。阪神淡路のときは視界が高かったが、リアルタイムで、しかも白昼数百メートルしか離れていないところで繰り広げられる惨劇は、想像の域を超えていた。

 4時半、ツマと二人で代々木上原まで歩き、店の被害を確かめにいくことにした。途中、それまで見たことがないほどの数の帰宅を急ぐ人たちとすれ違った。例えは不謹慎ながらお祭りや初詣でのようだった。カクヤスでは瓶が倒れていたようで、後片づけをしていたが、道路にタイルを埋める工事をしていた職人さんたちはすでに仕事を再開。どこの店もさして被害はなさそう。が、うちの店は建築士のあほんだらが見てくれ優先で酒棚を作ったおかげで、気持ち程度しか落下防止の縁がない。10周年を前にとんでもないことになっちゃった。どんだけ割れているかと思ってドアを開けると、なんとまあ信じられないことに瓶も皿も一切被害なし。ガスも水道も電気も止まっていなかった。思わず、守り神のトラに手を合わせた。ツマは「じゃあ、今日は店を開く」と。立派な心がけである。

 無事を確認したので、こちらは再び歩いて参宮橋へ。すれ違う人はさらに多くなっていた。その後、ときどき発生する余震とテレビ見たさに、仕事の手が進まず予定の半分に満たないまま夜中に。ツマが2時に帰宅。お客さんは3人だった由。なんだかんだで寝たのは4時。明日のニュースが怖いなぁ。


3月13日(日) おーい、元気か

 快晴16℃。

 朝、テレビを点けると、金曜日に発生した地震と津波に襲われた三陸を中心とする東北各地の惨状を各局が競って伝えている。取材に訪れた店も、穏やかだった入り江も、美味しい魚を食べさせてくれた居酒屋も皆なくなっていた。映画のCGだったら、夢だったら、どんなにいいか。近所の図書館に本を返しにいったら、点検のために休館とのこと。2日間も休むとは、便乗もいいところ。スーパーに食材を買いに行ったら、めぼしい棚が空っぽ。おいおいという感じ。パニックになってはいけませんよ。

 実は昨夜、友人からメールで北海道の同級生がたまたま水戸を訪ねていて地震に遭遇し、連絡がとれないと知らせてきた。以後、至急携帯アドレスに相当な回数のメールを送るも、すべてリターンされてしまう。電話はもちろん繋がらない。テレビでは水戸周辺の被害情報はなかったが、心配が募る。落ち着かない気分で仕事をしていると、別の友人からメールで電話連絡が取れたとのことで、ひと安心。勝田という町で二夜を過ごし、今日になって土浦まで移動。そこからタクシーで東京に向かい、なんとか板橋の友人宅に着いたという。本人とおーい、元気か。大変だったなぁと電話で数分話していたら、回線の混雑が原因なのだろう、プチッと切れてしまった。

 テレビでは、津波で生き別れてしまった家族を探す被災者の様子を伝えている。建屋が爆発して飛び散った福島の原発の方も心配。明日以降は輪番停電とか。初めて聞く言葉だが、以前からシミュレーションしていたのか。まんじりともしない気分で2時就寝。くそ、負けてられるか。


3月16日(水) こんな時にありがとう、10周年

 快晴13℃。

 目が覚めるたびに、何かまずいことが起こってやしないかとリビングのテレビを恐る恐る点けるが、暗澹となる話ばかり。すぐ消して仕事に再開するが、集中力が上がらない。しっかりせんかいと、ふがいない自分を心の中で叱る。

 日中は、先週取材したゴルフ関係会社の株主向けパンフレットの原稿書き。増収増益で来期も期待してくださいとの話だったが、この大震災で状況が一変。書き直すことになるだろうが、こちらとしては何ともしようがない。わずか1週間で、日本が違う国になってしまった。

 本日「虎の子」は10周年である。ご存じのお馴染みさんも多いと思うが、当時店は下北沢にあって、樹齢70年の桜の木がどーんと屋根を突き抜けていた。造りが何かに例えられぬほど変わっていたせいもあり(前の大家さんが腕利きの大工だった)、多くのお客様にご愛顧いただいた。映画のロケにも使われたこともあった(店主役はななんと鈴木京香さん)。が、何せ建物が老朽化しており、いずれ建て直すことは最初から決まっていた。これについては異存がないが、三代目大家は自分たちが出た後にご神木のような桜の木を切り倒すということを知って、心は穏やかでなくなった。店の内側に出てきた枝からは、毎年花も咲いていた。生きている桜をあっさり切っていいものか。正直、当時の大家にはむかっ腹が立った。

 素人なりに何かできないか考えるが、埒が明かない。じりじりとした気分のまま閉店カウントダウンが始まった夏に、庭師のOさんがふいに立ちよってくれたことで、状況が変わる。たまたま暇な日でツマが桜の木の話をすると、移植する方法があるとのこと。そのままは到底無理だが、枝をえぐり、植え直す「山取り」という方法を教えてくれた。下北沢店を閉めたのが平成19年の大晦日。その2日後にはOさんはチェーンソーでぐいとえぐり、それから2年2カ月以上も足立区にある自宅で育ててくれた。その桜の育ちぶりを10周年の記念に、一時期見せてくれるという。大震災以来ガソリンが不足しているというのに、なんと男気のあることよ。ありがたい、本当にありがたい。

 6時、虎の子へ。案内DMのデザインをいつも無料で引き受けてくれる友人デザイナーSさんはすでに到着。ほかにも、7時を回ってからご常連様が数人いらしてくれ、こんな時期だというのに店が暖かくなってきた。やがて桜が到着。細くて頼りなげだった枝が3センチほどに伸び、高さも2メートル50センチほど。葉も花もないが、つぼみが膨らんでいる。よくやった、よくぞ生き延びてくれた。

 以後、Sさんが携わっているイタリア食材の店の話をいろいろ。東北の小さな店ながら、ネットショッピングが当たって今は年商数億円。その勢いで実店舗を東京に出すそうなのだが、はたしていいのか悪いのか。止めた方がいいのだが、どう思うと尋ねられ、忌憚のないところを話す。自分が今いちばん関心のあるブランディングの構築そのもので、興味深かった。

 12時半、下北沢のビストロSUNAGAのオーナーとシェフのお二人が来店。あちらでもこのところ客足が遠くなっているそうだったが、ここは耐えるしかない。20代から店を開き、ほどなくグルメで知られる舞台美術監督に認められたそうで、その話が面白かった。2時半閉店。後片づけをして店を出たのが3時半。なか卯でツマの夜食を買って帰宅。テレビを点けたが、最悪の事態はテレビの中ではなかったもようである。が、虎の子のお客様にファンが多い「日高見」「伯楽星」の蔵は潰れたとの連絡が酒屋からあった。若い当主の無念を思うと、胸が締めつけられる。疲れ果てて4時就寝。下を向かず、がんばらなくちゃ。

 http://www.youtube.com/watch?v=2zeroCZSrjo


3月19日(土) 東北の地酒を飲んで応援しようっと

 晴れて18℃。久しぶりの暖かさでありがたい。

 福島原発の冷却装置が壊れて、この先どんなことになるのかと思っていたら、消防車やヘリコプターで放水するという。なんだか、手の施しようがなくなったかのように思えたが、夜の報道ではずいぶん水温が下がっているらしい。電源もつながったようだし、ほんの少し安堵する。昨日のテレビで国際ボランティア活動をされている方がNHKのニュース番組に出て、「物資はすでに十分あって届けられないだけという報道があるが、そうではない。食料は毎日140万食必要である。それをこれからも続けられない。旅館やホテル、空き家の公団などに移転させないといけない」と言っていて、驚く。そういう視点で報道している放送局は、たしかにないなぁ。皆、涙の再会と別れだもの。テレビでは公共広告機構のCMが、システムが壊れたかのように繰り返されて、イヤーな気分。仁科明子が38歳で子宮頸癌になったことも、脳卒中になったらスピードが一番重要なことも、思いは見えないが思いやりは示すことができることも、十分です。不謹慎でないCMはいくらでもあるだろうに。

 夕方、高血圧の薬をもらいに近所のかかりつけクリニックまで。このところ130-80をキープしているので、お医者さんにうらやましがられた。「僕なんて忙しくて薬を飲むのを忘れて、すぐに150ぐらいにあがっちゃって女房に叱られるんだ」「そういうことではいけませんね」といったら、豪快に笑っていた。いいのか、お医者がそんなことで。

 仕事は停滞気味。一日中、プレゼンの資料を読んで過ごす。それに飽きてネットをふらふらしていると、twitterで「東北の地酒を飲んで被災地の蔵を応援しよう」という呼びかけを知った。長く定番の伯楽星、墨廼江、日高見が軒並み全壊らしい。福島の末廣は会津若松のため軽微な被害で済んだらしいが。被災状況はわからないが、これまで以上に東北の地酒を飲んで蔵元を応援しないと。

 7時前にテレビを見ながら晩飯を食べていたら、地震発生警報が鳴ってほどなく震度3の揺れがやってきた。さすがにもう慣れっこになり、血圧も上がらず。2時就寝。


3月24日(水) 歌舞伎町のコンビニであった実話に涙する

 雨降って10℃。3月の末だというのによー。なんだよー。

 昨日、葛飾の金町浄水場の水から乳幼児を飲んではいけない程度の放射能が含まれているとのニュース。それにパニックになっている人が多く、テレビではミネラルウォーターを求める人がスーパーに押し寄せているという。ふーん。米、トイレットペーパー、納豆、次は水ときたか。微量なんだから、そんなに慌てなくてもいいだろうに。放射能の影響は震災の直接的な被害がなかった栃木、群馬まで広がっており、葉物野菜は出荷規制に指定されていないものでも納品を断られるらしい。今どき、生野菜を洗わないで食べるバカはいないのだから、洗った野菜で検査をすればいいものを。農家がかわいそうでならない。

 夕方、近所の先輩から呑気な電話あり。最近計画停電のせいで酒をつきあってくれる友達がいないとブチブチ。それはともかく、ポスターのキャッチの依頼があり、「へい、合点」と承る。

 夕方、ツマより店のカウンター下につけているライトが切れそうなので買うように頼まれて東急ハンズへ。新宿方面に外出したのはひさびさだったが、6時を回ったばかりだというのに紀伊国屋書店も高島屋も閉店。ショーウインドーも灯が消されており、気分がめげる。ハンズは7時までだが、肝心のライトは扱っていないとのことで、腹立たしさも加わった。松屋で牛丼を食べ(ほぼ満席ながら客の会話が一切なく不気味)、スーパーでウイスキーだけ買って帰宅する。以後、夜中まで店頭プロモーション関係の本を読む。帯に「売る人の話は信じない。買った人の話は聞きたい」という今の消費者心理を書いていたのだが、まさにその通りで、広告業界が消えてなくなるのも道理である。

 夜中1時過ぎ、ツマ帰宅。本日は本人の休みだったのでお客さんを連れて幡ヶ谷のビストロに行ったそうなのだが、その方が用事ででかけた歌舞伎町での話がちょっと泣けた。昼間コンビニに行くと、乳飲み子を抱えた若い母親が来店。ミネラルウォーターを探していたらしく、運よく見つけられたが、1人2本に制限されているため子供のミルクが作れないと泣いていた。それを見た店内のお客さんが「だったらオレも買ってあげる」、また別のお客さんもそれに続き、まとめ買いが出来たそうなのだ。ありがとうございますとお金を渡そうとすると、皆さん受け取らなかったそうで、それでまた母親は泣いたそうだ。生き馬の目を抜くような歌舞伎町だが、人の絆はまだ廃れていなかった。

 原発はいまだ安定状態に至らず。これが落ち着いてくれなければ、桜さえ楽しむ気分にならない。なんという、むごい春だろう。

 ※先日の10周年のときに運んでもらった桜の写真を「お知らせ」にアップしました。


3月27日(日) 水の心配をされる

 晴れて12℃。少し肌寒いのである。

 朝イチ、テレビを点けると放射能パニックに陥った人々の騒ぎの続報。東京だけかと思ったら「孫が暮らす東京に送ってやろう」と地方のジジババまでスーパーに走っているらしい。でも、それなら水道水でもいいものを、なぜそうしないのか。頭がどうにかしている。

 午前中、ゆっくり代々木公園下から富ケ谷を回るコースをジョギング。寒いせいか、花粉のせいか、それとも放射能のせいかわからないが、すれ違う人が少ない。あー、もう、なんだかなぁー。

 午後からポスターのキャッチを書いたり、仕事の資料を読んだり。夕方、北海道の友人から電話があり、「スーパーでミネラルウォーターは本当に手に入らないのか」と聞いてきた。なんでも春休みで帰省中だった大学生の息子がもうすぐ上京するのだが、テレビのニュースでびびっているらしい。「水はどこにもないけど、まわりは平気で水道水を飲んでいるし、使っているよ。まあ、こっちは甲状腺ガンになろうが、寿命が2、3年縮まろうが関係ないから」と答えて笑ったが、奥さんの狼狽ぶりが受話器の向こうからも聞こえる。子供がいない、まして孫もいない身なので、まったくお役に立てずにすまんこってす。

 12時すぎ、いつもより少し早めにツマ帰宅。そこそこの入りで、晩ご飯も食べられなかったとか。で、今日来たお客の不安を煽るような話を聞いて、無性に腹立たしくなって大声を上げたら、「こっちはおなかが空いて疲れているんだから、静かにしろ」と怒られる。むぎゅー。


3月30日(水) サクラサク

 快晴16℃。

 靖国神社の桜は28日に開花したそうだが、ウチの裏庭の桜も遅ればせながら本日咲き始めた。あれ以来、世間では明るい話が聞けないが、そんなことはお構いなしに可憐な花は咲き、それがただただありがたい。

 福井・永平寺の先代の宮崎奕保管首は何かに書いておられたが、虫の鳴き始め、花の咲き始めがあまり変わらぬことを挙げて、自然は偉いと言っていた。「誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたらこれだけの報酬がもらえるということもない。時が来たならばちゃんと花が咲き、そして黙って褒められても褒められんでも、すべきことをして黙って去っていく。そういうのが実行であり、教えであり、真理だ」。ほんと、そうだなと思う。石原慎太郎が都立公園での花見の自粛を決めたらしいが、巨人の経営陣と同様、アホとしか言いようがない。お通夜の晩だって、酒は出る。こんな時期にどんちゃん騒ぎなどするか。静かに花を愛でることまでお上が決めるな。

 この数日あまりに暇だったので、スキャナーを使って12年ぶんの年賀状をevernoteに取り込んだ。仕事関係の書類はエイヤと捨てられても、私信はそうはいかない。平均すると120枚ぐらいだから、総数が1400枚。結構ホネが折れたが、ときどき亡くなった親や友人、つきあいの薄くなった知りあいのはがきを見つけることができ、やってよかった。クラウドだから容量に不安もないし。

 夕方、ツマが参宮橋に最近できたスペイン・バルに一度行こうと誘ってきた。こちらの誕生日が昨日だったので、奢ってくれるとのこと。はいはい、よろこんで。ずいぶん歴史があるところなので、期待していたのだが、ちょっと肩透かし。イワシのマリネ、マッシュポテトのようなもの、砂肝のオリーブオイル炒めを食べたが、移転してしまった東北沢のバル・エンリケや代々木上原のシラントロの味には及ばない。塩とオリーブオイルしか使わないのは現地のやり方そのままとしても、日本人の舌には単調すぎる気がする。ツマも同様の意見。地元では夜遅くまで営業する店は珍しいので、もうちょっと頑張ってほしいところである。

 腹が一向に膨れないので、品華亭で食べ直す。シジミの紹興酒漬け、水ギョウザ、きくらげの卵炒めと紹興酒ロック。はー、落ち着く落ち着く。他にお客さんがいなかったので、このところ地元では閉める店が多いのだが、そのあたりを聞くとよーくご存じで、知らないことも多かった。すでにワインを1本飲んでいたので、酒も箸も進まず、1時間でお勘定してもらう。いや、満足いたしました。

 10時半だというのに、すでに酔っ払い、自宅に戻って爆睡。おーい、何時間眠るんだ、おれ。